昭和40年創業の「株式会社トミタケ建設」。二代目の伊藤博氏は「親のレールに敷かれただけ」と笑いながらも、信頼と信用で仕事を受注しています。そのすべてが知人からの紹介で、自ら指名を受け打ち合わせ等もするといい、人間性と大工の技術には、ゆるぎない信頼があります。
生まれたときから決められていた
「建築の道」
スタイリッシュな風貌でおしゃれな伊藤社長は、なぜ建築の道を歩まれたのですか?
大工の棟梁に師事し修業を終えた父が昭和40年に創業しました。建築許可は3桁の早い方。今なら登録社数が何万という中、324番に業者登録した古い会社です。私は昭和52年に高校卒業とともに、今は無き清水工業㈱というゼネコン会社に現場監督として入社しました。トミタケ建設を継ぐために5年間の修業を課せられたのち父の後を継ぎ、代表になりました。その家に生まれたからには、その家の家業を継ぐのがあたり前の時代でしたので、私も敷かれたレールに乗せられただけです笑。中学校の先生が「県立甲府工業に行けば同業者のライバルばかり。市立甲府商業に行けば、お客さんばかりと言ったのを真に受け、市立甲府商業へ進学しました。でも親父が許してくれなくて卒業後、県立甲府工業の専攻科(夜間)に通わされたんです。現場監督をしながら夜間で学ぶ生活は大変でね。遊びたい盛りだったし。それでも何とか2級建築士を取得しました。生きていくための生業ということで。
実をいうと本当はファッション関係の仕事に就きたかったんです。IVYファッションが好きで、中学生の時にはすでにメンズファッション誌を見ていましたね。洋服をはじめ、香水、時計、靴など身だしなみに気を遣ってね。私の周りにはこだわりの人が多く、その一人が東京とニューヨークを拠点としたセレクトショップと服飾ブランド「ネペンテス」を立ち上げて、今では世界的に有名なブランドにまでなっています。そんな関係性もあり、そのブランドのモデルになったこともあるんです。なにしろ高級時計を現場につけて生コンに手をつっこんでいたんですから笑。仕事中も外さない、それがポリシーでした。現在、大阪や東京のネペンテスの店舗工事をするなど、公私ともに友人とは付き合いを続けています。
服装は、その人を表わす
知人からの紹介がほとんどだと聞きます。口コミ率100%の理由はなぜでしょうか?
友人・知人・親族に恵まれたことです。未だに知らない人の仕事はしたことはありませんし、HPやメディア紹介で受注したことも一度もありません。人脈です。私の「人となりが良い」ということでしょうか笑。
人脈は修業したゼネコン会社で築いていきました。その人達との付き合いから輪が広がって、こうして今があります。その付き合いはまだ健在中です。しかし、一番は父の代からいる今は亡き井上棟梁と息子の二代目が抜群の腕を持っていたためではないでしょうか。私の信念は、安売りはしたくない、家という商品を売ることはしたくないということです。我々は工務業ですから、大工・建設・工務店は工務を請け負うのが本来の仕事です。私は本来の工務を大切に、人を大切にしてきただけ。そういう想いが信頼を築いていったのだと自負しています。しかし今は、そこ(信頼)からかけ離れているように感じます。例えば、自社だけで施工すると一度に何棟手掛けられないので、メーカー下請けになったり参加したり。利益というメリットがあると思いますが、私はそれだけはしたくない。昔の家づくりは、大工の棟梁が全部やってきました。棟梁が設計もデザインも兼ねて建ててきましたので、私も極力いろいろな人の手を入れないで工務にこだわり続けています。打ち合わせも私。昔ながらの「最後の工務店」で居続けたいと思っています。
だから、うちの強みは人間関係が構築されている縁故関係だけ笑。信頼・信用を売るしかないんです。
あきらめなければ終わらない。
その言葉を胸に日本建築を後世へ
日本建築にもこだわっていますね。その理由を教えてください。
昔は男性が家づくりに関わっていたんです。材料とか材質とかにこだわって、見た目では分からない部分を重視していました。しかし、時代の流れで男性の権限は弱くなり、今は女性主導の家づくりに様変わりしてきました。そのためデザイン重視された家が多いですね。日本建築は圧倒的に少ないです。日本建築には大工の技術や丁寧な仕事ぶりなど、日本の伝統技術は見ただけでは分からない良さがあり、言い出したらキリがありません。日本の良き技術を終わらせてはいけないと、「温故知新」日本の古い建築物を訊ねています。